日米和親条約と日米修好通商条約

日米和親条約と日米修好通商条約についてプリントにまとめました。

1853年にペリーが浦賀にきた翌年

1854年に結ばれた日米和親条約
(いやこし抜けの和親条約)←単なる語呂合わせです。
が結ばれます。


この条約では下田(静岡県)と函館(北海道)を開港します。

その4年後の

1858年に日米修好通商条約
(いやこわいのは修好通商条約)←これも語呂合わせ
が結ばれます。

この条約では
函館、新潟、神奈川(横浜)、兵庫(神戸)、長崎
の5港が開港されます。

えっ!函館すでに開港してるじゃん!ってなりますが、後に下田は閉港するように言われていて
修好通商条約にて上の5つの港が開港って感じです。

日米修好通商条約といえば不平等条約で有名です。

特に以下の2つの不平等条約の内容はテストで最頻出問題です。

不平等内容①

領事裁判権を認める

これは外国人が日本で罪を犯しても日本の裁判にかけることができないということです。

不平等内容②

関税自主権がない

これは日本が外国との輸出入の際関税がかけられないというものです。

例えば日本のお米が1000円で外国のお米が100円だったとします。

通常ここで日本は外国のお米に900円の関税をかけることで正しい価格競争ができるようになります。

ここで関税がかけられないとなると、外国のお米ばかりが売れて自国の商品が売れにくくなります。

よって”この関税自主権がない”も当時日本にとって大きな問題だったのです。





ペリーが来航した場所、日米和親条約によって開港した場所、日米修好通商条約で開港した場所、

これらは地名をいえるだけでなく正確な位置も答えられるようにしておきましょう。

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